寺院の歴史
当山の地は元々、火葬場建設地でした。
総レンガ造りで1923年(大正12年)関東大震災にて全て倒壊致しました。
その後、南太田・常照寺住職 植木日研上人(妙音院日研上人)が当地に御堂を建立。
常照寺別院として布教を行い、弟子・北妙榮法尼が御堂を任されました。
昭和8年3月11日 | 北妙榮法尼(研心院妙榮日得法尼)遷化後、宮武氏が堂守としてお堂を守った。 |
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昭和20年8月 | 太平洋戦争終結後、戦地より帰還した後藤泰心上人が植木日研上人より常照寺別院を任される。 |
昭和21年11月 | 後藤泰心上人が千葉・遠壽院 大荒行堂 初行入行・成満。 |
昭和24年 | 後藤泰心上人が妙榮山日行寺と改め、住職となる。 |
昭和32年 | 後藤泰心上人が遠壽院 大荒行堂 参籠1回(600日)成満。 |
昭和34年 | 後藤祥元上人が身延山 大荒行堂 初行入行・成満。 |
昭和38年 | 本堂修理 完成。 |
昭和56年 | 本堂増築 客殿・庫裏新築 完成。 開山を研心院妙榮日得法尼、開基を妙音院日研上人(常照寺第四世)、第二世を一妙院日健上人(常照寺第五世)とし、後藤泰心上人を中興第三世とする。 |
昭和59年 | 後藤祥元上人が正中山 大荒行堂 参籠1回(600日)成満。 |
昭和63年7月28日 | 80歳で後藤泰心上人(泰東院日凰上人)が遷化。 |
昭和63年10月 | 後藤祥元上人が第四世として入寺。 |
平成4年 | 山門建立。 |
平成7年 | 本堂拡張。檀信徒教化に努める。 |
平成23年10月22日 | 後藤祥元上人が住職辞任。日蓮宗より「院首」号拝命、日行寺相談役となる。 第五世として後藤泰敬が入寺。新住職となる。 |
平成30年11月24日 | 85歳で後藤祥元上人(泰導院日祥上人)遷化。 |
住職経歴
開山 | 研心院妙榮日得法尼(北妙榮法尼) |
開基 | 妙音院日研上人(植木日研上人 常照寺第四世) |
第二世 | 一妙院日健上人(伊東泰岳上人 常照寺第五世) |
中興第三世 | 泰東院日凰上人(後藤泰心上人) |
第四世 | 泰導院日祥上人(後藤祥元上人) |
第五世 | 後藤泰敬上人 |
第三世 泰東院日凰上人 修業歴
昭和21年11月 | 千葉・遠壽院 大荒行堂 初行入行・成満 |
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昭和24年 | 遠壽院 大荒行堂 再行入行・成満 |
昭和26年 | 遠壽院 大荒行堂 参行入行・成満 |
昭和29年 | 遠壽院 大荒行堂 四行入行・成満 |
昭和30年 | 遠壽院 大荒行堂 五行入行・成満 |
昭和32年 | 遠壽院 大荒行堂 参籠入行・成満 |
第四世 泰導院日祥上人 修業歴
昭和34年 | 身延山 大荒行堂 初行入行・成満 |
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昭和35年 | 遠壽院 大荒行堂 再行入行・成満 |
昭和37年 | 遠壽院 大荒行堂 参行入行・成満 |
昭和46年 | 遠壽院 大荒行堂 四行入行・成満 |
昭和54年 | 正中山 大荒行堂 五行入行・成満 |
昭和59年 | 正中山 大荒行堂 参籠入行・成満 |
平成元年 | 正中山 大荒行堂 主事 |
平成10年6月より平成15年11月まで、神奈川県第一部宗務所長 就任
第五世 後藤泰敬上人 修業歴
平成8年 | 正中山 大荒行堂 初行入行・成満 |
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平成13年 | 正中山 大荒行堂 再行入行・成満 |
平成18年 | 正中山 大荒行堂 参行入行・成満 |
平成23年6月 | 日蓮宗より住職認証 |
平成23年10月22日 | 入寺 新住職となる |
平成24年 | 正中山 大荒行堂 四行入行・成満 現在に至る |